生成AIは創作に向いてない?──埼玉の写真コンテスト騒動から考える

【ニュース要約】
埼玉県の写真コンテスト「第42回埼玉県写真サロン」で最優秀賞に選ばれた作品「俺の頭だぞ!」が、AI生成画像に酷似しているとSNSで指摘され、主催者が授賞を取り消しました。
受賞者は「自分で制作していない作品を応募した」と説明。AI使用自体の規定がなかったため、今後の対応を検討中とのことです。
朝日新聞 埼玉版報道(2025年11月)

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今回のポイント

  • SNSで「海外サイトのAI生成画像と酷似」と指摘が拡散。
  • 受賞者は「自分で制作していない作品を応募」と説明。授賞は11月8日付で取消し。
  • 展示や紙面掲載も済んでおり、運営は対応を見直す方針。

じゃあ、生成AIは創作に向いてない?

結論は「向き・不向きが違う」ですね。AIは大量の作品データから“それっぽい”最適解を合成するのが得意。発想の種出しやラフ作りは速い。ですが「体験や偶然が生む一回性」を持ち込みにくいんです。だから、コンテストで「誰が作ったか」を問う場面ではズレが出やすくなってしまいます。

AIの創作の源ってどこ?

学習データです。無数の人間の表現からパターンを学び、統計的に再構成します。つまり“新作”というより“再編集”。既視感が出やすいのはこの構造の副作用ですよね。

人間×AIの最適な関係

  • AI=道具:構図案、色味の比較、物語のバリエーション出しに活用。
  • 人間=作者:体験・価値判断・責任の部分は人が担う。
  • 透明性:応募要項は「AI生成・加工の可否」「申告方法」「検証手順」を明記。
  • 検証の実務:逆画像検索、メタデータ確認、生成痕のチェック体制を事前に。運営側の学習コストは必須です。

今回の教訓

AIそのものが悪いわけではない。ルールと透明性が足りないと、場が壊れてしまう。それだけです。主催の公式告知は出ていますし、今後の取り扱い見直しも予告されています。ここを機に、応募側も運営側も“線引き”を言語化しておくべきですよね。


おまけ:写真系コンテスト向け「AIポリシー」叩き台

  1. 生成AIの使用可否と範囲(構想補助/合成/修復)を明記。
  2. 使用時は必ず申告(使用ツール・工程・元画像の所在)。
  3. 未申告・虚偽申告は受賞取り消し+今後の応募停止。
  4. 検証手順(逆画像検索、RAW提出、作業ログ提出)を事前公開。
  5. 公開時のクレジット表記ルール(「AI補助あり」など)を統一。

このように整理しておけば、AIと人間がうまく共存できる“新しい創作の時代”が見えてきますよね。

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